鏡
私は、他人は鏡であると思っています。
他人を通して自分を見たときに、初めて実体があらわれてくるように感じるのです。
自分が持つポジティブもネガティブも見えないのです。
誰しも自分の鼻先を見ることは出来ないのです。
勇気
変化があり、生活ががらりと変わりそうです。
流れがあるのに気づけたのだから、とりあえず流されるままになろうと思うのです。
勇気とは、目の前の敵にやみくもに剣を振りかざすことと勘違いをしていました。
冷静に目的の姿をとらえ、自分の実力を見つめながら前に進むことなのかなと思います。
間違っているかもしれません。
それでも、そう思うことにしたのです。
この年齢で気づけなかったのもどうかとは思いますが、気づけないまま死ぬのも嫌だなと。
グレー
物事にはグレーゾーンがある、ということがわかっていても、自分のこととなると冷静になれず、0か100、良い悪いで判断してきていました。
結局はその考えが自分自身を追い詰めてきました。
ようやくグレーゾーンが自分の身体にしみてきたように感じます。
頭でわかっていても、どんなに知識を詰め込んでも、「腑に落ちる」瞬間まではわかっていなかったのかもしれません。
世の中のほとんどの人には既に身についていた感覚なのでしょう。
私は、思考が自由になったのかもしれません。
質問
占いをするときは、質問することを確定します。
曖昧な質問にはあいまいな答えしか返ってきません。
質問者が、一番聞きたいことを明らかにしたほうが占いやすいのです。
もちろん悩みがなければざっくりと恋愛運で占っても大丈夫です。
一度占えば、問題点が浮き彫りになることもあるからです。
質問者も、口に出して悩みを話すことによって自分の問題点を認識することが出来ます。
頭の中で考えていたもやもやが、はっきりと口に出すことで、形を伴って立体化してきます。
自分の問題を話すだけで、その人自身が答えを出せるときもあります。
その時必要なのは、占い師という聞き手なんだろうなと思います。
聞き手がいるその場の空間が、質問者の中にある答えを引き出していきます。
お互いの相互作用で、きっと良い結果が導き出されるのだと思います。
変化
変化しそうな予感はあります。
予兆らしきものが感じられます。
とてもとても怖いです。
去年、変化に自ら飛び込み、ひどい失敗をしました。
必要な失敗だったとはわかっています。
でも、またあの恐怖を味わうかもしれないと思うと不安だけが強くなります。
まだ起きてもいない未来。
先回りして考えすぎて、不安感だけが増大していきます。
どうせ変わらないのなら進んだ方がいい、進んだ先に何かがある
そんなふうに言いながら思いっきり行動する人を見て、只々感心しました。
不安や問題が無くなったわけではないけれど、それでも前に進む決断力がうらやましかったです。
感じる
常識とはなんとあやふやなものか。
普通とは曖昧な言葉か。
誰しも自分や自分の周りを基準に考えています。
世界は広いし、色んな人がいるというのを頭でわかっていても、自分の想像力の及ぶ範囲は限られています。
誰もが、この世に起きる出来事のすべての当事者になることは出来ないのです。
だからといって「わからない」と切り捨ててはいけないのだろうと思います。
少しでも「感じる」ことができれば自分の持つ世界は広がり、自由になるのかもしれません。
客観的
一度こうなのだという思い込みがインプットされると、なかなか後から訂正することができません。
物事を組み立ててもいない状態で、思考があちこちに散らばっています。
そのため、論理的に考えるということがどういうことかわからないのです。
出来ないならばいっそ、自分のことがよくわかっている友人や家族なりに相談した方が上手くいくようです。
今まではアドバイスを受けても聞く耳は持たず、偏った考えにこだわっていました。
発達障害と自覚があるのなら、判断を他人に委ねる生き方は間違いではないかもしれません。
少なくとも他人に説明している時点で冷静になり、客観的に見ることが可能になります。
占いをするにもされるにも、いかに相手にわかるように話せるかは重要です。
一歩引いた目線がどちらにも必要です。