ベルトコンベアー②

ベルトコンベアーは工程が決まっています。

フライの衣をつけた後は次は揚げる、という具合にです。

 

自分の意志とは関係なく良いことも悪いことも、すでに決められたことのように用意されているのを感じます。

私は起きる幸、不幸を次々と受けるほかないのです。

終わったとき、何を思うのか、どう変わったのか、考えることが出来たとき又次に進めるのです。

ベルトコンベアー

長めに地元に滞在してきました。

いつもは暑いはずの夏も、妙に寒い日もあって過ごしやすい毎日でした。

リピーターの方を占ったり、幼馴染の男性を無理やり占ったりと楽しかったです。

 

22日は皆既日食新月ということで、変化を受けた方も多かったのではないでしょうか。

私は占星術は勉強をしていません。

有名な方が出している記事を楽しみにして毎回参考にしています。

もしかしたら今回の変化は私にも起こりそう、そんな予感はありました。

 

人生には理不尽なことが起きます。

自分ではどうしようもない荒波に巻き込まれることがあります。

私は、自分が運命のベルトコンベアーに乗せられ、こねくり回され、引っ張られ、プレスされ、それでもベルトコンベアーから降りることができないというイメージがあります。

そのベルトコンベアーに乗ったのは私です。

いや、乗せられた時もあったかもしれない。

その時乗らなくても、違うタイミングで乗ったかもしれない。

そもそも用意されたベルトコンベアーは私専用のレーンだった。

そんなふうに考えた夏になりました。

友達

実家に帰り、友達にも会えるだけあってきたお盆休みでした。

古い友達に久しぶりに会いました。

彼女が、

「自分に当てはまると思いADHDの本を読み進めたら、これってあなたのことじゃない?と思ったの。」と。

そのことを念頭に話せば、私たちは非常に似た者同士でした。

言語化できなかった困りごと、伝わらなかったもやもや。

全てそれはお互いに悩んでいたことだったのです。

 

だから彼女といるのは心地よく、立場もいる場所が変わっても友達でい続けられたのかとわかりました。

 

占う前に

タロット占いをする際、質問はできるだけ明確にする必要があります。

ふんわりとした質問(恋愛運について等)にはふんわりとした回答しか出てこないのです。

逆に考えれば、質問することを明確にできていればその問題の半分は解決したも同然です。

自分の気持ちを包み隠さず、他人にわかるように伝え、自分の欲しい方向の回答をもらうのはかなり大変なことなのです。

一旦自分の問題を棚上げして、俯瞰したうえで落とし込むときに色んな事が見えてくるようになります。

 

占いをしていると、質問とは違う回答がでてくることもしばしばあります。

質問者が問題に囚われていたり、質問とは違うところに問題があったり。

カードを開いて状態を観ながら、少しずつ質問者の本音を解きほぐすことができれば早く解決の道が見えてくるのだと思います。

あざ

体中あちこちにあざがあります。

どこでぶつけたのかわからないまま、かなり古いあざもあります。

小さい時から私だけがなぜこんなにあざだらけなのかわかりませんでした。

 

運動音痴で、ドッジボールではすぐにぶつけられ、走れば転び、物や人にぶつかるのもしばしばです。

発達障害の人は空間をとらえるのが苦手といわれます。

物と適切な距離をとることが出来ず、化粧品などをテーブルの端ギリギリにおいてしまい、いつも倒してしまいます。

 

自分のことをうっかりやさんとしか思わずにいましたが、頻度が多すぎました。

その姿を見られ、母からあきれたとばかりに怒られると身の置き所がなくなるのです。

原因が分かったとき、やっと諦めることが出来ました。

 

片付け

「片付けられない女たち」が話題になったのは一体いつだったのでしょう。

その本が世に出たとき、私のことだと思いました。

小さいころから自分の部屋を片付けることが出来ませんでした。

母がいたから何とかなったものの、高校卒業後一人暮らしを始めたとたん、乱雑な部屋になるのは時間がかかりませんでした。

生ごみ等は始末していたのですが、整理整頓ができないうえ、掃除の仕方もわからなかったのです。

フロアを丸くはくのも無意識でした。

トイレや浴室はやることが決まっているので方法はわかるのですが、他の人よりは大雑把だったと思います。

 

友達の部屋を見たとき、ホテルのようなシンプルで物のない部屋に逆に圧迫感を感じてしまいました。

ハムスターが自分の周りをティッシュで囲むように、周りに自分の物があふれていないと不安になってしまうのです。

 

物を引き出しに入れてしまうと物の存在を忘れます。

引き出しにメモをつけていたこともありますが、本当は全ての物を平面に置いていきたいのです。

そうしてやっと物の把握ができるのです。

 

使ったものを元に戻すこともできません。

今使ったことも忘れ、自分の視界からは存在が消えてしまうのです。

 

その本を見ることは、知りたくない自分がいるようで見ることが出来なかったのでした。

 

 

努力

最近辛い言葉を言われました。

 

ちゃんと努力しているのか。

それができないなら、じゃああなたには何ができるんだ。

 

その言葉を言われたシチュエーションは理不尽で、ひどく傷つきました。

 

これらの言葉は、以前の職場で何度となく投げつけられた言葉です。

ミスが多く、仕事が覚えられない私に同僚から言われました。

私自身、何をどうすればいいのかわからなくなっていました。

努力の方向が間違っていると言われ、この仕事しか出来ないととなると、みんなと同じ給料だよねと責められました。

確かに仕事が出来ないのは私の問題です。

しかし努力はしていたし、出来ない代わりに時間をかけて(残業つけずに)働いていました。

ただ、実を結ばなかったのです。