食べる

小さい時から体が弱く、無理をすると寝込んでしまうことが多いです。

季節の変わり目は要注意で、気温の上がり下がりに影響を受けてしまいます。

 

食べ物のバランスには気を使おうと、パワーの足りない時は肉の赤身、脂もご飯もしっかり食べるようにはしています。

氷の入った飲み物をやっとやめることができました。

体に悪いとわかっていても、冷たいものはやはり飲みたい。

お腹が痛くなるからやっと止められたというのが本当です。

 

旬の果物、野菜をできるだけ食べる努力をしています。

今年のように値上がりしてしまい、金銭的に厳しい時もありますが、旬の食べ物の力にはどんな薬もかなわないだろうと。

 

食べる、寝る、出す、が上手く循環していれば、自ずと健康になれるはず、と思っています。

親を許すか許さないか。

かなりの人が悩んでいることだと思います。

親との関係がうまくいっていないと感じている人が私の周りにもいます。

 

ある時、

「亡くなった親を許さなければならないのか?」

と、聞かれました。

私は、

「許さなくていい。最悪な親と思ってていい。自分が死ぬまでの間、気持ちが変わるかもしれないけれど、変わらなくてもいい。ただ、「最悪な親」と思うところで考えるのは止めればいい。そこから先は考えない。」

と、言っていました。

あとで考えたら、これらは自分への答えでもありました。

私自身、割り切れない思いが残っていました。

図らずも、質問に答える形で自分への答えになっていたのだなと。

死者に鞭打つのもと躊躇していましたが、生きているもの優先でしょう?

 

亡くなった親に限らず、今生きていようが、離れていようが、許したくないのなら許さなくていい。

そこに捕らわれてしまって、余計に生きづらくなってしまうのは止めた方が良いと思うのです。

 

 

逆位置

自分で自分を占いました。

全てのカードが逆位置になってしまいました。

カードはシャッフルするので、天地がさかさまになってしまうことは普通です。

全部のカードが、どちらかに偏るというのはあまりないことです。

正位置と逆位置で意味が違う場合や、ポジティブ、ネガティブにとらえるかなどは、占い師によって違います。

偏りすぎた場合は、あまりにも思い込みが激しかったり、ネガティブにとらえすぎたりといったことがあると考えています。

その時私は不安でした。

ネガティブな思いがそのまま現れてしまったようです。

その場合は占いを止めるか、やりなおしたほうがよさそうです。

その結果に振り回されてしまっては、又悩むだけなのです。

気象病

今日で8月も終わり、すっかり秋めいてきました。

天気もなんだかちぐはぐで、体調を整えるのに四苦八苦です。

最近、「気象病」という言葉が聞かれるようになりました。

私は、体が天気に過敏に反応します。

雨が降る1時間前には神経が痛み始めます。

温度や風にも、台風や低気圧、変温動物のように動けなくなります。

大袈裟だ、老人みたいと言われることもしばしば。

体に明確な不具合があるわけではないので、自分でもどうすることもできませんでした。

漢方薬で体質改善も長いこと取り組みました。

治るわけでないので、自分で養生していくのを一番に考えています

美容院

髪を切りました。

髪を切ることは手っ取り早い運気の変え方ですね。

すっきりするし、前向きにもなります。

小さな行動ですが、効果は確か。

 

占い承ります

都内のカフェ等でタロットで占います。

1時間3000円

メール1件1000円

プロフィールのメールアドレス(アットは変えてください)までお問い合わせください。

キーパーソン

人生の流れの中での人との出会いは不思議なものだと思います。

恋愛や恩師、いじめられたなど良いものも悪いものもあります。

私の人生における、これこそキーパーソンに違いないと思った出会いもあります。

その人たちは、私の前に現れた後様々な影響を与えたあと、役割を終えましたとばかりに縁が切れていきました。

私にそのことを言うために、気づかせるためだけに、ほんの一時期人生がすれ違うのです。

きっと私自身も知らぬ間に誰かの人生のキーパーソンになっているのでしょう

 

不思議

友人に会うため車で向かっていると、頭の中にぐるぐると言葉が浮かんできました。

 

自分のことを相手にわかるように伝えることと、相手のことを自分が理解する努力は必要、でも、お互いがわかりあえるという幻想は捨てること。

 

なんだろうなと思いながらその後友達と話したわけですが。

結果的には、私はこの言葉を言うために彼女に会ったようなものでした。

彼女がこの言葉を理解してくれたかどうかはわかりません。

それでも、この言葉が彼女には必要だったのだと思うのです。

 

親子であれ、夫婦であれ、結局は他人です。

それなのに、

〇〇だからわかりあえるんじゃないか、〇〇なんだから理解するのが普通だ

どこかにそんな幻想を持っていやしないでしょうか?

私の思考は独特です。

発達障害だからかもしれないし、それ以外もあるかもしれない。

それなのに私のことを理解してというのは傲慢です。

私自身が他人の気持ちを理解していないのに。

 

「努力」は好きな言葉ではないけれど、他に言い換える言葉が見当たらず使いました。